こんばんは!
関西支社の尾崎です!
暇潰しに今日も書きました^_^
暇潰しというと聞こえが悪いですね!笑
想像力トレーニングをしました!
ではどうぞ。
入口で一瞬見えた。
看板には、【因果ループ01】と書いてあった。
気が付いたら、暗いトンネルの中に1人迷い込んだようだ。
前が見えない。。。
誰もいない。
何かが目の前にあるのか・ないのか?
分からないからまさぐるように掻き分けて。
訳がわからない。
なんで急にこんな処へ。
とにかく、ここがなんなのかよりもここが気持ちのいい場所ではないことは身体がそう感じとっていた。
早く出口を探そう。
出口といっても視界を奪われた時点で出口がどこにあるのか検討すらつかなかった。
時間が経てば目も慣れてきていくらかは見えるだろうと期待するも、あまりに暗く、願いは暗闇に消えていく。
頼れるのは視覚以外の感覚のみ。
目が見えないことの怖さが、いま身に染みて分かった。
五感のどれか一つが失われると、他の感覚が異常に発達・進化するらしい。
かのシックスセンスはまた別の話だが。あのセンスが今身についたら自分はショック死しているに違いないだろう。
そんな雑念じみたことを考えながら暫く進んでいくと、急に何かの鳴き声が右斜め後ろの方から聴こえてきた。
丁度右脳の後ろ近くから。
でも、なんの生き物かは分からない。暗くて見えないのもあるが、それよりも後ろを振り返る動作をとる方が怖い。
もちろん今は振り返ろうともなにも見えない。
ただ、見えていた時の感覚を身体が覚えているからだと思う。だから振り返れない。
なにより、見えないというだけで想像力が恐ろしいほど生まれる。
そう思うと暗闇が生んだ幻聴なのかもしれない。
とにかくただただ怖い。
蝙蝠だと思えばそう聴こえるし、風の切り裂く音だと思えばそう聴こえる・・気がする。
もはや、こんな状況で正常な判断が下せない。
とにかく、こういう時は自己洗脳で言い聞かす。これしかない。
さっきのは、聴こえなかったことにしよう。自己洗脳というより無理矢理に近い。
でも、そうでもしなきゃ鳴き声に対しての【説明】をわざわざ理由付けないといけなくなる。
そこまで考えるのはしたくない。
知る方が怖い。
異常な状況下で気がつけば、聴覚がとくに鋭くなっていた。
危機を感じ取る大きな判断材料である視界が効かないからだろう。
聴覚が頼りだった。
些細な音さえもスピーカーボリュームのツマミを右にめいいっぱい捻った様に聴こえる。
だが、もっとも発達したのは想像力ならぬ自身が生む妄想力だった。
目が見えずとは、人の想像を限りなく生む。
それがなにか?を知る解釈の材料が少ないから人は想像を極限まで働かせ、なんとか作り上げたイメージで脳を納得させるようになっている。と、そう思えた。
思い込みはなんでも生み出せる。
想像力豊かな人は下手したら自分を自分のイメージのみで殺せてしまうほどだと感じた。
もう、どれだけ歩いたか分からない。
かなりの距離を歩いた。
かなり歩いた、気になっているだけ?
事実なのか、それとも自己洗脳のしすぎなのか、定かじゃなかった。
暗くて今まで進んできた距離を把握出来る目安も分からず、感覚という曖昧すぎるものでしかモノサシを測れない。
その曖昧な感覚でも、おそらく丸2日は歩いているだろう。
この曖昧な2日が、四季を一巡する位の長さに感じる程だった。
本当に一年歩いたかもしれない。
だったら俺はフルマラソンを1位でゴール出来る才能がある!
と、無理して和ませる。が、無理だ。
結局の所、窮地に立つと自己防衛が働くんだな。
いつここを出られるか分からないと思うと、もうダメかもしれないと悟ると、精神が体力を一気に奪う。
【精神が肉体を凌駕する】
の、逆パターン。
限界を感じ、歩くのを止め、崩れるように腰を下ろした。もたれかかるものも背後にはなかったためあぐらをかくことにした。
もうこの際、あぐらだろうが正座だろうが大してどうでも良かった。
どの道もう動ける与力は、ない。
ただ、あぐらが一番気持ちを落ち着かせる気休めの姿勢だった。そんな程度。
それでも疲れ切っていることには変わりないので、本当は横になりたかったが、そうしたらもう2度と立ち上がれなくなるような気がしてそれはやめた。
目を閉じようが閉じまいが、結果は何も見えないから一緒ではあるが、気休め程度に目は閉じずにいた。
その方が現実サイドにまだいる様な気がするから。
現実から目を逸らさないという意味でそれもこれも、本当は0.1ミリの可能性を信じたかったのかもしれない。
わずかな生存本能が、
まだ諦めない。
そうさせた気がする。
長い間そうしているうちに、目に重りが乗った様に強制的に瞼が閉じかけていた。限界を感じる。
ボロボロになった身体。暗くて見えなくても、痛みや極度の不安からきた感覚で分かっていた。
ここがなんなのか?
何故暗いのか?
何故一人なのか?
何故前へ歩いたのか?
答えが欲しい。
ここで終わったとしてもその事実をしりたい。
と、その途端、、。
門が開くかのように一筋の光が先の方から見えてきた!
気持ちにして1年間ほど久しく見ていなかった自分の身体に光が当たり、自分自身のからだを目視で把握した。
自分のからだを見ることで安心するなんて普通ではありえない話だが、今はそれすら嬉しさを感じた。
急過ぎた目の前の状況に目も頭も誤認識が生まれるほど混乱混じりではあったものの、心だけは大きな確信めいた希望に満ちた・・・!!
この目で見えるものは、希望に変わる。
この目で見えないのならば、それは不安を生む。
表面的に見えたとしても、その奥にある本質的部分が、いわゆる人間で言う本性が見えていないのも同じく不安という点で見えていないのと変わらない。
今まさに光が
【前へ進もう!】
と、可能性を生んでくれている。
やっとだ。
なにも見えない不安から、光が周りを照らし、目で物を確かめられる幸せを人生で一番感じた瞬間だった。
当たり前のことが、当たり前じゃなくなるということが実は一番怖い事なのかもしれない。
でも実際生きていてそんな当たり前のことばかりの中で生きている。
朝日が見られて、ご飯が食べられて、誰かと会話もできる。
言い切れないほどのものごとが当たり前化されている。
だから、それを当たり前じゃないと分かるかどうか?
そこのところを、この暗いトンネルが気付かせてくれたんだろう。
色々な事が走馬灯のように駆け巡る。
でもそれでも何故いま自分はここにいるのか?
・・・今はいい。とにかく出口へ走る。
全く動けなかった身体が急に軽くなり、浮くような感覚を覚えた。
ますます足も軽くなり、というより誰かに背中を押されている位、簡単に前へ走れた。
その勢いのまま光を目当てに出口へ向かう・・・
諦めない事の大事さと、いつもの日常に帰れることを今一番痛いほど感じ、それと同時に自分を褒めた。
目を閉じずに、0.1ミリの可能性を信じたからだ!
そしてついに、、。
まっくらな暗闇に長くいた分、辺り一面を見れないほどに眩しかった。
目の奥に鋭利なものが刺さるような痛みがしたが、時間が経つにつれて馴染んでいく感覚に変わっていった。
暗闇で前が見えない事よりも、眩しさで前が見えないことの方がこんなに心を充実で満たしてくれるのは、やっぱり光は可能性を生んでくれるからか。
当たり前の、この外の景色が何倍も綺麗に見えたし、こうしていられることを最高に幸せに思う。
途中から逸れたみんなが笑顔で自分に向かって手を必死に振ってくれている。
笑顔を見られる事は、やっぱりいちばん幸せだ。
人は他人から忘れられた時、それは死んでいるのと変わらない。
光が当たらないというのは、もっとも不安を生む。
みんなの前にむかい、あれこれ話をしたいのに、今までの出来事が脳内でうまく処理できない。喉から出始めようとする言葉をごちゃごちゃにさせられながらも必死に声に出そうとした途端、、、
!!・・・。
側頭部を硬い何かで叩かれたような衝撃と共に急に目の前が暗転した。その暗転の中、微かになにかが見えた。
【因果ループ02】
叩かれたショックなのか?
自分はうつろながらもなんとか目を開けた。
が、瞼を見開いたのに、目が見えない。
違う。
前が見えない。
方向感覚を失い、急に全身から可能性を奪われた感覚が走った。
まさぐるように周りを見渡してもなにもみえない。
肌が露出している部分から冷たさを感じる。
顔半分と、掌が地面の感触を捉え、
そして、顔半分から酷く鈍痛がした。
冷たい地べたに倒れて横になっていた。
暗いトンネル、0.1ミリの可能性、因果ループ。
やっと、意味が分かった。
蝙蝠の鳴き声が聴こえる。